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2011年12月

2011.12.31

自分の中で はじまった事

今までは 人ごとみたいに思っていたブログを

今年7月下旬から初めた

2011年の今日の日まで よく続いた

ツイッターみたいに 心の中では

一人でよく つぶやいてるので

これが 文章になっただけなのだけど…

文章で現すことの難しさを実感する

イラストで表現しても 人それぞれが

自分なりの解釈で 見るように

言葉も 人それぞれ感じ方が違い

その人自身が現れてしまう
  
何を考え 何を表して 何を言おうとしているのか

何を感じて 何を喜んで 何を悲しんで

何を押し黙って 耐えているのか

本当のことは 心の中でしか言わないけど

ブログを書く事によって 

自分の中の一部が 少しづつ

融けていっているのが 分かる

ブログなんて 何万 何億の人が書いて

読んで そこらじゅうに 散らばっている

宇宙のゴミみたいなものだけど

自分の為には ブログでもやって

思いを 解放させるのも

いいかも知れない 

今年の ブログ納め

来年も 良い年でありますように

今年最後の一枚(そろそろ お節の用意しましょ )

   お雑煮には 何を入れますか?
       広島県民は もちろん牡蛎じゃけん! 
   
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http://www.e-digigra.com/catalog_page/cata_DG16.html

2011.12.30

もういくつ寝ると 年越しそば 

今年もあと2日 2回寝ないうちにお正月

というより炬燵で うたた寝しながら

紅白を見て お正月を迎えましょうか 

12時まで起きていれば良いのだが

いつも途中で眠くなり 睡魔との戦いで

何とも辛い『明けまして…』の言葉を

カウントダウンと共に 発する私である

家族はというと テレビを楽しみながら

炬燵の中で 年越し蕎麦の出てくるのを待っている

それを食すまでは 年が越せないそうである

私の作る年越しそばで 締めくくる 

今年一年健康であった感謝と

来年の家族の幸せ 商売繁盛を祈って…

以前 一度作らずに 寝てしまい

お正月にお節と共に 出したことがある

締めくくりと 締めはじめが一緒くた とほっ

さて 今年は寝ないであろうか…

最近は何時と言うことなく 眠くなる

今日の一枚(蕎麦はざる蕎麦派?)

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        今年は 身も心も寒いから
          やっぱり温もる丼が良いかな

http://www.e-digigra.com/title_page/NEOKIRIE_index.html

2011.12.29

何気なくテレビの画面に目をやると

学校が映し出された 

映像は惨い

改めて 事の大きさに

ショックを受けてしまった

東北の震災の爪痕がそのまま残り

まだまだ元に戻るまでには至らない

学校全体が津波にのまれてしまって

跡形もない 形だけが残り

どこもかしこも瓦礫の山

実際に行ってこの目で見ると 

きっと生半可な自分の生き方を

後悔するかも知れない

辛さも度を超している人々の

じっと耐えている姿は見るに忍びない

神や仏に祈るしか 思いつかない

目を閉じて…

今年の漢字1字が【絆】に決まったが

今年 未曾有の大きな災害から

日本全国のみならず 外国までも

何かに掴まっていなければ 

繋がっていなければ

支えてもらわなければ 

飛んでしまいそうな

消えてしまいそうな

僅かな命綱のように 【絆】

家族を失った人に頑張れとは言えない

傍にいて背中をさすって見守って

大丈夫 私たちも共に と

心で叫んでいる

今までの人々の考えや 

心の持ち方が試されたというが

人災もあり 

誰を責めるというのではないが

目線をしっかりと民に向けていないから

いつの時代も 泣くのは民である

やるせない…

今日の一枚(自然は美しくもあり…)

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(手が届かない…)
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( … )
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http://www.e-digigra.com/title_page/NEOKIRIE_index.html

2011.12.28

大根入りカレーの香辛料的 思い出

最近になって 思い出して後悔した事…

やはり 固定概念で動いていたのだと思う

子供が小学生の頃 町内会の役員をしていて

お子達の為だけでなく 町内のお年寄りや

顔だけしか合わせたことない人たちとの

コミュニケーションにと

町内で一日バザーを催したことがある

時間のある人は 皆協力して

たくさんの余剰品や不要品を提供しあい

にぎやかな催しをしようという事に…

料理も手作りして 子供の為に遊びも取り入れる

料理の種類の中で カレーも作ろうとなり

大きな鍋を探したが 無いので各自でカレーをつくり

持ち寄り 合わせることになる

大体のカレーのレシピを話し合い 各自に任せた

そのほうが 一種類の味でなく美味しいとのこと

当日 鍋を持ち寄り 寸胴鍋に足していった

ひとつだけ 大根が入っていたので

誰かしら『この鍋は別にしとこう』となった

誰かが『これ 美味しいよ』と

一言いってくれれば良かったのだが

皆 知らなかったのである 

大根をいれるカレーがあることを…

ひとつだけ別にされたカレー鍋は 

誰が作ったのか という目になり 

そういう目で人を探してしまった

結局 誰がこしらえたか分からじまいだが

最後まで鍋が 残ってしまった

誰も勧めなかったのだ

今になって考えると とんでもない考えで

失礼な事をしたと思う 

ひとつだけ別にされた大根カレーを

作った人のことを思うと 居たたまれない

知らないということは やることが酷であり 

思い込んでいると 応用が利かない

最近になり 大根カレーを知るが

とても美味しく ご飯がすすむと言う

今時の料理は チャレンジ精神があり

昔に固定概念でガチガチに固められた料理から

これは美味しい!と新しい味覚発見があり

殻から飛び出した料理が多い事に 気付かされる

昔のことは若気の至りであり はするが

そういう 興味本意で人を見ることは 罪ですね…

今日の一枚(カレーはどんなカレーも美味しい家庭の味)


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http://www.e-digigra.com/title_page/KIRIE_paper.html

2011.12.27

シルバーマークに物申す

車社会の世の中だが 何処も彼処も車ばかり

随分と車が多くなり 年配の方の運転も多く見かける

というのも シルバーマークがついてるから分かるのだが…

シルバーマークと言っても 新しいのでなく 

古い方も よく見かける

シルバーマーク(高齢運転者標識)は

70歳以上は シルバーマークを付ける努力義務があり

そのマークを付けるよう 促されている

〈もみじマーク〉ならいざ知らず

通称〈枯れ葉マーク〉と呼ばれてまで

付けるのが嫌だという理由で付けない…

マークをつけると 余計にあおられたり

危ない運転をされて 割り込まれたりしかねない

だから 付けなければいけない人が一向に増えず

事故も起こしがちで どうにか対策を考える

〈枯れ葉マーク〉云々で

新しいマークのデザインを募集したというのである

〈四葉マーク〉なら良いのか?

ただ見た目の新しさだけで 選ばれて 

新しい数種類の中に この古いマークを入れて

選ばせる考えは 浮かば無かったのかしら

絶対に 前のデザインの方が良い

シンプルで 見た目も分かりやすく

〈若葉マーク〉と並んで バランスがとれている

私も ロゴやマークは何十回と仕事をしたことがあるが

交通標識のマークは ちゃんと考えられており

遠くからでも 識別出来るし 今まで確立していたのに

変える必要を 全く思いつかない

〈若葉マーク〉に対して 〈枯れ葉マーク〉と言ったのだろうが

誰でも 若葉から 色づいて枯れ葉になるのだから

歳を重ねる事は 恥ずかしくも何ともない事で

何故 たかが呼び名や落ち葉をイメージするという事で 

そういう論議から 新しく変更になり

マークを募集する事になるのかしら?

時間と人件費・経費の無駄は考えないのかな?

新しいマークに切り替えると 人はルール・マナーを守るのか…

それが出来ない人は 新しくしたところで如何に…

いつしか〈四葉マーク〉も〈枯れ葉マーク〉と同じに

思われて 一体化してしまうだろうに…

それよりも運転マナーの方を論議するべきでは?

一部の言う事ばかり聞いて 方向を変えてしまい

関わる人の商売だけが 活性化していく 

今日この頃 ですね… …


今日の一枚(広島は馴染みのある呼び名 紅葉マークで いいんじゃ)

                         と 思うのだけど

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http://www.e-digigra.com/DIGI3_IN.html