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2012年1月

2012.01.21

昭和の時代

テレビで「ALWAYS 三丁目の夕日」をしていた

昭和の生活していた時代が 様々と映し出され 

今のように鮮やかな映像でなく 

懐かしくなる色調で作られていて

再現するのは難しいのだろうけど

そういう雰囲気を感じられる作りで

昔を思い出させてくれた

あの頃は 皆貧しくて その日暮らしが精一杯

しかし 夢や希望を持ち

いつかは お腹いっぱい白飯を食べたいと

未来を見て過ごしていた

画面の中に 昔見慣れた生活道具があり

『あの頃は良かったなぁ』としみじみする

振り返って そう言う感慨を持つが

昔は 『貧乏は嫌だ 早く抜け出したい』

『金持ちになりたい』『安定した生活がしたい』

と ずっとその状態から 

一日も早く変われることを 願っていたのだ

あの頃の生活道具も然り 

ちゃぶ台はテーブルと椅子に変わり

ポンプ前で しゃがんで洗濯していたのが

水道に直結した洗濯機になり

手で回して洗濯物をしぼっていたのが

ボタンひとつで簡単に脱水出来て

台所の流し台も小さく 所狭しと物が置いてあったが

今はシステムキッチンが当たり前で

七輪がコンロなり 3口コンログリル付きに 

電気炊飯ジャー 湯沸かし器 冷蔵庫 レンジ 

等が 順々に現れて便利になっていった

戦後4〜50年あまりで 日本中の

暮らしがみるみるうちに変化した

【便利】が無いと欲しくなり 憧れていたのに

【便利】が手に入ると 無い生活を懐かしみ

他の辛い事まで忘れて 全て許してしまう

でも 本当に昭和の時代は良かったのだと

今だからこそ 思う

唯一 言える事は

幼い子供たちは 夫々の時代を育ち生きていくが

あまり 物が揃って無い環境のほうが

夢を自らつくり 持ち続けられる…

今日の一枚(駄菓子屋の店先では 心が踊っていたよ)


H240121

昭和のイラストあり〼 ↓
http://www.e-digigra.com/title_page/NEOKIRIE_dg31.html

2012.01.20

風呂敷の効用

パッケージデザインの中には

包装紙やペーパーバッグ お土産の箱

贈答用の化粧箱 その包み ケーキBOXと

持ち運びするデザインも沢山手掛けた

パッケージのデザインは楽しく作業できる

自分のしたデザインがチラシの様に

一過性で捨てられるのではなく

パッケージが街を歩き 人に手渡されたりして

また 気にいったものだと 綺麗にしまい込み

必要な時に選ばれて 再利用される

どのデザインも 一応役に立って

販促的な役目をしたり  その商品の顔になったり

綺麗な衣装として包む要素を含んだりする

しかし 数年前から

紙不足や過剰包装をやめる 風潮があり

ペーパーレスだといって紙の価格も上がったりで

パッケージを抑える所も出て来た

エコの推進で 買い物も自分の物は

自分の用意した袋に入れる

サービスの一環としていた紙袋やレジ袋は

課金されることになる

何か違うぞ と サービスしてくれるお店もあるが…

紙がここまで 世に出て来て氾濫すると

迷惑していたのが 風呂敷だ

多種多様な包み方が出来 

持ち歩くのに邪魔にならない

汚れたら洗えば何回も使える

その風呂敷を 紙が追いやったに見えたが

また 盛り返してきた

新たなデザインも取り込み 

風呂敷包みが エコを味方につけ

粋なメイド イン ジャパンで闊歩する

今日の一枚(風呂敷の代表的な包み方)


H240120

エコな生活道具イラストあります ↓

http://www.e-digigra.com/catalog_page/cata_DG31.html

2012.01.19

五感を鍛える

人間の感覚

五感とは 視覚 味覚 聴覚 触覚 嗅覚 

この五感のどれかが 際立っていて

何か知らの仕事についてる人もいるだろう

視覚の優れた人は 目で追う仕事に

味覚の優れた人は 料理人や料理研究家

聴覚の優れた人は 音楽家  調律師

触覚の優れた人は マッサージ師

嗅覚の優れた人は 香水の調香師

と 簡単な解釈で言ってみた

実際は どれも研ぎすまして持ち合わせていれば

その感覚があれば あるほど仕事の能力も上がる

デザインに関わる人も 全く同じことが言える 

五感の備わった人は 自ずと良いセンスで表現でき

人の先頭を走る 人の見本となるデザインをする

いつもの同じ生活をしても

仕事で生み出す内容に 差が出てくる

五感の弱い人は 目で見ても物が通り過ぎる

舌で味わっても お腹は満足するが…

耳で聞いても ガンガンと楽しむだけで

季節の香りに気が付かず 人の気配を気にしない

普通に何気なく生活しては 時間だけが通りすぎて

五感は 磨かれない 鍛えられない

いかに五感を磨くか 

今の 有り難さに感謝して

当たり前のことを 当たり前と思わない

当然と思う気持ちを 外して見る

五体満足 親の有り難さ 食事の美味しさ 

国の平和 四季移り変わりの様子

生活を正していくと 見えてくるものがある 

そうして 五感が鍛えられてくる

デザイナーの生活は 時間が押している

余裕が無いと 五感が鍛えられない

と 今になって思う…

今日の一枚(第六感は 鍛えてある)


H240119

シルエットから ↓
http://www.e-digigra.com/DG23Web/DG23IND_IN.html

2012.01.18

蝋梅の花

ろうばいと文字入力すると

漢字変換の一番上が 狼狽とくる

直ぐさま 手が勝手にreturnを押してしまう

何度 繰り返せばいいのか

気持ちが 焦せっているのではないが

最近 よく漢字のミス変換を繰り返す

よく見て変換が合っていればいいが

『おっと〜』と もう一度入力し直すこと多い

こっちが 狼狽してしまう アタ フタ…

何故に漢字の文字は 必要なものが

一番上に来ないのか

と いっても【ろうばい】は 

【狼狽】の方を使う人は多いね…

変な漢字が上にあることも多く

文章を変換するとき 不条理な変換もあり

思わず『ぷぷぷっ』と笑わしてくれる

蝋梅という言葉で 横道に反れてしまった…

陶芸教室に行った

『今日は 抹茶の器を作ることにしよう』と

気持ちを入れて作るが 中々思うように作れない 

何かが違う 気持ちが散漫としてるからか…

先週 脱走犯の事件が身近にあったばかり

騒然としたヘリコプターの音と 

メディアが流すのは このニュースばかり

教室でも 話題がそれになる

手を止めて 教室内を歩き回る

小さな花瓶に 一枝の蝋梅の花が生けてあり

それに目が止まる 

蝋で作ったような 黄色い花に 

薄い葉も作りものみたいに 黄金色

『様になるなぁ この花』

どの花瓶に生けても 誰の作った花瓶でも 

ちゃんと花瓶までも 生かしてくれそう

あまりに褒め倒して 話題にしたせいで

庭になっている蝋梅の木を切って頂いた  

なんという 嬉しいご利益 

持ち帰り 早速 似合う花瓶を選んで生ける 

家の中にも階段も事務所も 蝋梅の花 満載 

移動する度 蝋梅の花の匂いが

 ふんわり 後をついてくる

苔の生活だけでなく
 
 たまには 花香る生活も良い

今日の一枚(蝋梅の 花香り高き 年初め)

H240118

正月ぼけから さあ 仕事に本腰を
 そろそろ 2月のイラストいかかですか ↓

http://www.e-digigra.com/EP_Webdata/EP11_12.html

2012.01.17

するべき禁止が遅い

問題が大きくなって 苦情が重なったり

事件が起こってからでないと

中々 人は動かないということ

問題だとしても 少人数で訴えている分には

どうってことなくて 

皆でワイワイして 事が公になり

メディアに取り上げられて 初めて 

法律で規制をかけて 制限させることに…

数十年前 パソコンが普及して 

まもなく ソフト関係の仕事も増えてくる

仕事柄 広告を見ると 直ぐさま

これは どうやって作成したんだろう と

広告自体を見ないで 表現してある写真に

目が凝視する

ちゃんとした撮影写真はあまりない

大体は いじっている どこを加工しているか 

間違い探しを見るようで 面白い

大人数いるスタジアムの広告を見ると

 『同じ人間がいるよ クーロンがここにも…』

不動産のチラシも 

 『この木はコピーしてる 枝ぶりが一緒じゃ』

 『川面にうつる建物も 空撮写真も』イメージが大事だが…

そして 美容の広告
 
 『肌の皺もシミも 消してある』

 『目が 115%大きくなっているよ』

 『これ 絶対うそだぁ〜』

 『ここ修正してあるよ』

 『組み合わせて加工してる』

 『ごまかすのも程々にしないとねぇ』

誇大表現も甚だしい

見る人はアプリケーションソフトの

マジックを知らないから 

『本当になるの?』『素敵!わたしも』

最近は昔と違い 技術面が進歩しているから

綺麗になることも スリムになることも

安価に 簡単に 手に入れられると

勘違いしている

何でも出来るようになってしまう

ということは 

パソコンでする作業も 随分と上をいき 

見分けが出来ない位 上達していて 

平面的な表現も 3D化している

現実に近い感覚が得られても 

それは幻想であり 想像の世界である

いくら 想像力が発達している人も

広告を見て ビフォーアフターの

自分自身が見違えるようになれる とは

それは創造力の欠如 ということになる

この先 まだまだ無法地帯のインターネット内

どこまで いくのでしょうか

今日の一枚
 (綺麗な人は より美しく そうでない人も それなりに)


H240117


↓ はつらつ 爽やかなイラストあります

↓ Boys&Girls(10代半ばから20代前半の若者たち)


http://www.e-digigra.com/DG22Web/DG22html/D22IND.html