陶芸 Feed

2011.07.29

無になれる

陶芸で土にさわっていると 

一瞬だが 気持ちが 無になる時がある 

その時だけ気分がすごく楽になる 


子供の頃 住んでる所は山の上で 

山の土が粘度質だったのか 土だんごをよく作って遊んでた 

手に入る大きさの土を 手の中でコロコロするだけなのだが 

気持ちはしっかりと まるくなーれ まるくなーれ と

呪文をかけて コロコロする

手の力が少しでも偏ると ひびが入り歪な形となる 

何個もつくっていると 要領を覚える 

最初は力で形をつくり 少しづつやさしく転がす

時間をかけてコロコロして 凸凹もなくなり きれいな丸になる 

今日の遊びは 終わりというところで

山すその自分の秘密基地に穴をほり 土だんごを埋めておく 

次の日も また出して少し固くなっただんごを 手の中でコロコロする

だんだんと固くなり 板切れや石のつるつるした面でだんごを磨く 

土だんごが光ってくる すごい宝ものだった 

毎日まいにち 無心でそれを沢山つくっていた 

子供の目で見ても 同じ大きさはひとつとしてない事は わかっていた 

あの頃は 同じ大きさにつくるということに こだわっていなかった

同じでないといけないなどと頭になかった 

ひとつひとつが 大切なだんごだった 

あれから あの土だんごは…

土の中に閉じこめられたままなのか


器をつくっても 未だにひとつとして 同じものはない

今日の一枚

H23729

【DIGIGRA PICTURE 24より】

http://www.e-digigra.com/DG24Web/DG24IND_IN.html

2011.07.28

私の中の陶芸

デザインをしていることから

形や絵を表現している陶芸には

ずーと前より 少なからず興味はあった

良い形だな 色合いがいいなぁ と 

思うものは買っていた

料理に使ったり 花瓶にしたり 飾ったり

もっと気に入っているものは しまっていた

陶器市にいったり 旅行して窯元を訪ねたり

鑑賞しては楽しんでいた


しかし あることから急に陶芸を初めてしまい

もう何年やっているのだろうか

1月に1回教室に通い その時だけ

土をさわり 未だに 悪戦苦闘して

形を楽しんでいる


すると 今まで購入し手に入れて

嬉々としていた頃が おかしくなった

なんというか もう買う気が失せてしまったのだ

陶芸の展示会や立派な窯元のものでも 

そういう商品として並んでいるものをみても

全然手に入れたいと思う気になれない


陶芸をすると 

他人の作るものがその人を表していて 

こちら側に 充分な受け入れ態勢がないと

買えないし自分のものとしたくなくなる

土は素直な生き物で捏ねていると手の中で

捏ねている自分の気持ちを表して形になる

迷いがあると どんどんと土のほうが

勝手になめてかかり違う方向にと形づくる

まだまだ 何年やっても格闘している自分だが

自分のその時の気持ちがあり

出来たのを見るとそれぞれに 顔があり 愛着がある 

いびつな形でも料理を盛ると おいしく見える


あなろぐデザインもこんなものだったよな


今日の一枚

H23728_2
【DIGIGRA PICTURE23より】

http://www.e-digigra.com/DG23Web/DG23IND_IN.html